手を伸ばす。
全てが赤く染まる中で、
手が届けばいい。
ボクは思っていた。



それは残暑の厳しい時節だった。
ボクは藤二に呼び出された。

この山には昔からよく来ていた。
見下ろす視界、都が一望できるお気に入りの場所。
夏の間に好き勝手に伸びた雑草を踏みしめて、立つ。
ここから見下ろす都は、昔と違って色褪せて見えた。

「なぁ晋さんヨォ。
 動き出した時間を止める方法ってのはねぇもんかネ」
「なんだい急に、キミらしくもない」
「いや、ただサ…
 俺達がこうしている間もサ、時間は過ぎていくダロ。
 ふとサ、思っちまったんだ。
 もし、もしもだけどヨ。
 幸せな今が終わったらサ、
 俺はどうするんだろうナと思ってヨ」
「…ボクにはわからないな」
「そっか。そうだよナ」
「…」
「そういやサ。お前、いつまでボクなんて言ってんダ?
 『お前も刀を持つもの』なんだからヨ、
 俺って言ったほうがカッコいいダロ」
「ボクはずっとこの口調で生きてきたんだしなぁ。
 ボクはボク。今更俺なんて言っても似合わないよ」
「ま、そーかもナ」
そう言って藤二は笑った。

わかっている。
ボク達はいずれ動かなくてはならない。
それは今を崩すことだから、
だからボク達は踏み出せずにいる。

別れ際に
藤二は、いつか変わるときがくるだろう、と言った。


 数日後、藤二はいなくなった。
 同日、小さな事件が起きた。
 都の名主が襲撃された。
 しかし、歴史に刻まれた死者は0名。
 

藤二が居なくなった翌日。
都には噂だけが飛び交っていた。
ボクはそんな都から逃げ出したかった。
普段あまり飲まない酒を飲むことにした。
忘れたかった。

そして、こんな話を聞いてしまった。

「知ってるか晋ジ。
 噂高いあの新山のオッサンがよ、
 また新しい子をすくい上げたらしいんだわ」
「また、か」
「あぁ、お前が苦手な話だとは思うがな。
 だが、今回だけは聞いておけ。
 それがお浜だってよ、藤二の…な」
「っ!!」
「落ち着け晋ジ。
 その所為なのは間違いない。
 だが、勝手に走り出すんじゃねぇ。
 世の中を動かすには力が要る。
 一人だけで変えれるほどやわなもんじゃねぇ」
「だ、だが!!」
「わかってる。新山は倒さなくちゃならん。
 だが、まだだ。
 ジョニーさんの話を聞いたことはあるだろう?
 俺達が立つのはまだ先だ。人数は多いほうがいい」
「く…」
「急にこんな話して悪かったな。
 でも、いつかはお前だって知ることになる。
 遅くなるほど、お前を止めることはできねえと思った。
 覚悟しておけよ晋ジ。
 都は動き始めてしまったんだ。
 歴史を変えるのは意思じゃない。
 歴史を変えるのは運とタイミング。
 これから始まるのはでっかいでっかい大博打だ」
「…」
「ふん、今日の酒は美味いだろ?
 久しぶりの上物だ。
 飲む時は笑え、笑って飲んで忘れず生きろ。
 もう飲めないやつの代わりに飲んでやれ」
「…大将、この酒の名前は?」
「○○○。
 黙って飲んでも、笑って飲んでも味は一緒だが、な」
「奢りか?」
「一本だけだぞ」
「充分」

久々に一本を飲み干した。
そして、潰れる。


 明くる朝、目が覚めると自分の家だった。
 トントントンという軽快な音に目をやると、
 なぜか炊事場に立つ見知らぬ男。
 赤茶の長髪とやけに長い羽織の大男。
 その目だけは子供のようにキラキラと光っている。
 その有名人は噂に聞いた通りの容姿をしていた。

「ジョニーさん…?」
「おはよう晋サン。
 大将のとこで潰れていたキミを運んで来たのだ。
 まぁそのついでにキミのとこでお世話になろうかなと」
「盗るものなんてないですよ」
「ハハハ、朝ご飯はもうすぐ出来る」
「…いただきます」

「ジョニーさん、新山は、いつ」
「晋サン」
「…」
「落ち着いて聞いて欲しい」
「…はい」
「我々が立つのはまだ先になりそうなんだ」
「くッ…」
「こちらの数は確実に揃いつつある。
 後は襲撃のタイミングだけなんだ。
 その時が来たら…私達は確実に新山を討つ」
「…」

「ジョニーさん、ボクにも手伝わせてくれませんか」
「キミのことはマスターに聞いてきたよ。
 刀を持つ身分にあり、剣術の腕前は道場でも5本の指。
 しかし、キミは人のすべてを奪うことを、嫌っている。
 そう聞いているよ」
「ジョニーさん」
「なんだい」
「藤二の話は聞いていますか?」
「…あぁ、残念だ」
「アイツはボクの親友だった。
 だからボクはアイツのために刀を握りたい」
「ふむ…」

「晋サン。キミは幸せかい?」
「そう見えますか?」
「おっとそう睨むなよ晋サン。
 ただ、キミにはまだ残っているものがあるだろう?」
「そうですか?
 遊び歩いてばかりで、家とは疎遠になっています。
 兄貴も藤二も逝ってしまった。
 次はオレの番ですから」
「しかし、キミには陽サンがいるだろう?」
「…」
「考えて欲しいんだ。
 戦う理由とはね、散ってしまう理由にもなるのだから」

ジョニーさんは笑った。
「ちなみに私が戦う理由。
 それはキミのような人を増やしたくはないからだ。
 私は自己満足の英雄で在りたいのだよ」
それだけ言って去っていった。



ボクは陽と会った。
まだ青い紅葉の道を二人で歩いた。
「なぁ晋サン。この道懐かしい思わへん?」
「この道か。懐かしいな。
 昔は毎日ここで会ってた」
「そうそう」
陽は微笑んでいる。
「懐かしわぁ、もう晋サンと出会うて何年やろか。
 大人になる前に出会うたんやで。
 まだ一緒に居れるやなんて思てなかったわぁ」
「今日の陽は昔のことばっかだな。
 ほら、いつもなら景色ばっかり見てるだろうに」
「なんや色々思い出してなぁ。
 あの頃といまと、色々変わってしもたから。
 どっちが幸せなんやろとか、考えてもうてなぁ」
「幸せ、か」
「ほんにすべては変わってしもた。
 昔とは全然、違うもんなぁ。
 ウチ達の立場も、晋サンの口調も、
 ……藤二サンのことも」
「…」

下を向いたボクの頬に、そっと触れる小さな手。
「晋サン」
「なんだい?」
「ごめんなぁ、ウチのせいで…
 そないな顔させてもて」
「…」
その手は冷たく小さいけれど、確かにここにある。

「あぁ、言っとかなあかんのや」
「?」
「悪いなぁ晋サン、
 ウチ来週からちょっといそがしなるかもしれん。
 だから、しばらく晋サンと会えんようなると思うんよ」
「? なにかあるのか?」
「うん…ちょっとなぁ」
「ふぅん…まぁ仕方ないか」
「ほんにごめんな」
「謝らなくていいって」
「んーん…」
「まぁその」
ボクは強引に陽と唇を重ねた。
「…気にしないでいいから」
陽は微笑んだ。
「ごめんなぁ」
微笑みながら、謝った。


 それからずっと陽とは会えなくなった。

 
 しばらくして、
 酒屋の大将から新たな噂を聞いた。
 
 陽がいなくなったという噂を。




昼間、一人の男が訪ねてきた。

聞きたいことがある。
藤二という男のことだ。
お前とその男の関係については調べが済んでいる。
聞きたいということは一つ。
親友であるお前の口からの証言だ。
藤二は愚劣極まりない男であった。
そう吹聴してくれればそれでよい。
わかるな?

男はおもむろに刀を抜いて、言った。

そうすれば返してやる。

ためらうことはなかった。
オレは刀を持つものなのだから。

無造作に左の拳で相手の顔面をなぎ払う。
右足を跳ね上げるように相手の右手、刀を握る手を蹴り飛ばす。
蹴り飛ばした刀が床に落ちる前に、
オレの刀は相手の右肩から左脇までを赤く染めた。

血を吐きながら、男は言っていたように思う。

「畜生…、なんで俺がこんな目に…
 お前…、わかっている、か…
 俺だって、お前と、同じような、理由、がある…
 繋がっているんだ、この負の流れは、ああ…
 殺すことで、殺されて、人質を取られて、また殺して、
 どうにも、なん…
 あ、く、
 明に、もう一度…」


オレはその日のうちに家を出た。


翌日、オレはジョニーさんと再会した。
なんのこともない町中の一角で。
どうやらオレのことを探していたらしい。
「晋サン、おはよう」
「ジョニーさん、悪いけどその呼び方はやめてくれ」
「ふむ」
頷いて、ジョニーさんは懐から一枚の小さな紙を取り出した。
「晋也くん、キミの周りに起きたことはマスターに聞いた。
 そして我々も色々と調べてみたのだが」
受け取って、そこに書かれた字を読んだ。
「陽は…」
「ヤツはすべてを潰していくつもりなようだ。
 そしてキミは疑われた。
 おそらく、藤二くんの件で、だろう。
 確証はまだない。けれど、恐らくそういうことだ」
「…」
「新山は明後日、御影神社へ行くようだ。
 毎年恒例の紅葉観賞のようなんだ。
 我々はその日に動く。キミは、どうする?」

決行の具体的な日時はその紙に記してあるから。
そう言ってジョニーさんは去っていった。

 帰り道に紅葉を見た。
 赤く染まっていた。

次の日、この町で多くの血が流れた。
居酒屋の店主をはじめとする大勢が斬られた。
そう、捕らえるのではなく斬られたのだ。
ジョニーさん達の計画はすべて漏れていたらしい。
ジョニーさんを含めた数人は行方不明になった。
恐らく、もう都から姿を消していることだろう。


彷徨った。
どこでどうやって日を過ごしたのかはわからない。
覚えているのは町を包む赤の色。
紅葉の色。炎の色。血の色。空の色。


オレは山に入っていた。
そして一日、都を包むように山を歩いた。
山を下った先には黒い森。
それは神社を囲む鎮守の森。
ここはオレと藤二の遊び場だった。
この先の道は目をつぶってもわかるだろう。
懐かしい記憶が明確に道を教えてくれている。

神社の敷地へ差し掛かる頃、
オレは見覚えのある背中を見た。
「ジョニーさん」
「オゥ、晋也クン」
ジョニーさんのほかに三人の男がいた。
ジョニーさん以外の三人は揃って無表情だった。
いや、ジョニーさんも同じかもしれない。
いつも通り笑み。しかし動くのは口だけだ。
「…なにをする気なんですか」
「我々は仲間達の意思に報いなければならない。
 そして仲間達の無念を晴らさなくてはならない。
 だから…」
「だから殺すんですか?
 殺されたから殺して、そしてまた殺されるんですか?」
「……」
「いつまで経っても終わりが無い。
 いつまでも血で血を洗い続けることで、
 なにが変えられるのでしょう」
「晋也クン、時代を変えるにはそれしか道はないんだよ」
「……」
「誰も殺さずに歴史を変えることができるであれば、
 我々はその手段を尊重し、援護し、成功を手助けしよう。
 しかし、絵空事を並べ立てて検討する暇はもう無い。
 動き始めた歴史は終わりへと向かうほかないのだから
 藤二クン達のために一緒に行こう、晋也クン」
「…違う」
「……では、どうするというかね」
「殺さない。殺さないんだ。殺してはいけないんだ。
 殺さないことで歴史を変える必要があるんだ。
 殺すことで築かれた歴史を終わらせるんだ」
「キミにそれができると言うのか」
「…やってみせる。
 藤二のために、陽のために、大将のために、アイツのために」
「…変えられるのか?」
「変えるんだ」
「……」
「だから、オレは先に行きます」
考え事をしているジョニーさん達を抜き去り、オレは歩く。

秋の日は早い。空は闇に包まれている。
オレは前へ進む。

先の見えない道でも、不安は感じなかった。



思い一つを胸に抱き、
オレは駈け出した。


境内を見下ろす高台。
あちこちに松明が焚かれた、夜なお明るく燃える境内。
やはり厳重な警備が敷かれているようだ。

荒くなった息よ、静まれ。
手を伸ばせるのは一度だけ。
息を吸う。
息を吐く。
ひたすらに繰り返して機を伺っていると、

「「曲者だっ!!」」

突然の叫び声、しかし遠い。
呼応する様にあちこちで声があがる。
だが、まだオレに向けられたものはないようだ。
騒ぎの原因はすぐに思いついた。
そして、俺は彼らより先にたどり着かねばならない。

騒然とする宴会の場。
長椅子を並べて作られた即席の宴会場。
怒声が行き交い会場の一番奥、目立つ場所に老人が一人。

その姿をしっかりと見た。
 
 届くだろうか。

固まった指を開く。

 違う。

そして、強く握り込む。

 届かせる。


 森を飛び出し、まっすぐに。
 積もった紅葉を踏み潰しながら走れ!


 刀は腰に、両手には拳を。
 風のように走れ!

雑然とした境内を駆け抜ける。
会場へと踏み込む直前、
一人の男がこちらに気づいて声を上げた。
「ここにも居たかっ!!」
刀を持った男が1人、正面から走ってくる。
上段に構えた刀。
遅い。
振り下ろされる前に真っ直ぐに駆け抜ける。
「通すな!!」
次は槍の男。
正面から槍を突きつけてくる。
胸に当たる直前、地面を削る様に滑り込み、槍をくぐる。
男の懐へと潜り、倒れそうな姿勢のままに男の腰へと腕を回す。
ぐっと腕に力を込める。
男の右腕の下をくぐり抜ける。
同時に突き飛ばした反動で跳ねるように体を前に飛ばす。

崩れた重心を大きく飛んで無理やり修正。
再び走る。
慌てて横振りされた槍が背中を撫でるのを感じながら。
走る。

前方には老人の姿。
30歩もすれば届くだろうと目算しつつ、走る。

 後、5人。
 オレは着ていた羽織から腕を抜いた。

「はっ!!」
槍が2本、両側から胸と腰を狙って同時に突き出される。
胸を狙ってきた右の槍、脱いだ羽織を叩きつけた。
同時に左手で腰へと突きだされた刃を掴み、軌道を反らす。

出来た隙間へと強引に体を滑り込ませる。

左の腰を槍が擦る。右の槍がわき腹を滑る。
左手の指から感覚が消えていく。
それでも、抜けた。
走る。

 あと20歩。
 まだまだ遠い。

「ここまでだ!!」
最後の3人は刀を手に待ち構えていた。
3人で並び、壁のように立ちふさがる。
走りながら、無茶な動作で刀を抜き放つ。
右手一本で刀を掴み、構える間も惜しんで、正面と左の間へと飛び込む。

向かって右が最も反応が早かった。
だが、右の刀は始めから無視している。
槍傷の脇を切り裂き、しかし刃はそれ以上届かない。

正面、上段から振り下ろされる刃、
右手で拳を握るように刀を握りこみ、横薙ぎにぶつけた。
力任せに振るわれた一撃は、激しく音を立てて激突した。

正面と同時に振るわれた左の上段からの一撃、
左腕を振り上げる。
右手の刀を相手の刀が滑る感覚。
刀が左腕を斬る感覚。
感覚の途絶える瞬間、力一杯左腕を振り回す。

 二本の刀をくぐりぬけた視界の先。
 すぐそこに、いるのが見えた。
 後は走るだけだ。

走るのに邪魔な右手の刀を手放す。
左腕がどうなっているのかなど関係なかった。
右腕を握り締めて、

重心が定まらない。
それでも、走る。

1,2,3,

4歩。

目の前には老人。
老人の手には一振りの短刀。

 構うものか。

迷いなく、刃へと自ら突っ込む。

銀色に光るソレが胸に刺さった時、
同時にオレの右腕が力一杯老人を殴り飛ばした。

 思わず、笑みがこぼれる。

オレは更に一歩踏み出す。
胸に刺さった短刀を抜く。
木に激突して、崩れ落ちた老人の首。
ゆっくりと短刀を突きつける。

 届いた。

目の前が赤く染まっていく。
息を吐こうとすると赤い物が零れた。
力が入らなくなり、短刀は指を滑り落ちる。
後は膝を折り、崩れ落ちるだけ。

 嗚呼、忘れてはいけない。
 一つだけ言っておくことがある。

老人へと倒れこみながら、
耳元でそっと囁く。

「ボクはお前を殺せた」

そして、終わる。





小さな都で起きた、小さな事件。

歴史に刻まれた死者は0名。

一人の男が、一人で散った。

ただ、それだけのこと。

それは事件として認知されることすらなく、

日常として忘れ去られていった。




その後、この赤い町は……








「晋サン、ほんに久しぶりやなぁ…
 あ、ウチのこと忘れとったりせんやんなぁ?
 ウチはずっとずっと晋サンのこと、探しとったんやで?
 
 もう、あの都には戻れんかったけど
 ずっとずっと、探しとったんや。

 長い長い時間
 時代も変わってしもた。
 
 煙吐いて、鉄の塊が走り回る時代やで?
 ふふ、ウチにはなにがなんやらわからんけど。
 あ、でも晋サンはこーいうの好きやったナァ。
 晋サンが熱心に喋って、正直ウチにはちんぷんかんぷんで。
 それでも、そんな晋サンの顔を見るのが楽しかった。

 ああ、話が反れてしもたなぁ。
 あんね、今日は晋サンにお別れ言いに来てん。
 ふふ、別れ話ってやつやね。
 ウチも色々あったから、昔のままじゃおれん。
 だから、お別れ。

 でも、晋サンにはきちんと言っておきたかったんよ。
 ありがとな。ウチ、ホントにホントに嬉しかったんよ。
 ただ、
 残された事はずっとずっと恨むかんね。

 覚悟しときや晋サン。
 ウチのしつこさはアンタが一番知っとるやろ?

 ふふふ

 そいじゃあね、晋サン。

 次会えるのは私がそっちに行ったとき、やろな。
 楽しみにしといてな。

 ほな、またね」




 終。

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